1937年、盧溝橋(ろこうきょう)事件が発生し、日中戦争となった。
日中戦争とは?
1937年から1945年まで、日本と中国の間で行なわれた戦争。
日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)まで、日本と中国の間で行なわれた戦争である。当時の近衛内閣は、この戦争の呼び名を「支那事変(しなじへん)」と閣議決定(かくぎけってい)した。
戦争ではなく「事変(じへん)」としたのは、盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)後の本格的な戦闘が行なわれても、1941年12月に太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)するまで、両国は宣戦布告(せんせんふこく)を行なわなかったためである。
日中戦争の原因から停戦までのあらまし
1937年(昭和12年)7月7日、当時北支に駐屯(ちゅうとん)していた日本軍の夜間演習中に実弾(じつだん)が2度発射され、日本軍と中国国民党軍が衝突(しょうとつ)し、盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が勃発(ぼっぱつ)した。
7月8日、蒋介石(しょうかいせき)は日記に「倭冦(わこう)の挑発(ちょうはつ)に対して応戦すべき」と書き、7月9日に動員令(どういんれい)を出し、四個師団(しけいしだん)と戦闘機を華北(かほく)へ派遣(はけん)した。
7月19日までに北支周辺(ほくししゅうへん)に30個師団、総兵力20万人を配備(はいび)した。
ノモンハンへ進軍する日本兵
出典:http://japanfocus.org/data/japanese_soldiers_march_on_nomonhan.png
7月11日、日中の現地軍どうしで停戦協定(ていせんきょうてい)が締結(ていけつ)され、中華民国側は遺憾(いかん)の意を表明し、責任者を処分すること、盧溝橋(ろこうきょう)付近には中国軍にかわって保安隊(ほあんたい)が駐留(ちゅうりゅう)すること、事件は藍衣社(らんいしゃ)、中国共産党など抗日団体(こうにちだんたい)が指導したとみられるため今後取り締るという内容の停戦協定(ていせんきょうてい)が締結(ていけつ)された。
コメント